自分らしく生きるに たどり着くまで

自分らしく生きる にたどり着くまで

 

私は、会計事務所に20歳から42歳まで勤務していました。

高校時代憧れた職業は、ジャーナリスト。

 

ペンで社会を動かす。

このフレーズに憧れていました。

読んでいる本も、ノンフィクションが多かったです。

真実を突き止め、世の中に伝える。

これを自分の使命と想っていました。

熱く燃えていましたね〜。

 

 

しかし、現実はまったく別の方向へ。

中学・高校と日高の浦河町で過ごし 札幌の短大を受験しました。

東京の大学に行きたい マスコミ志望ならまず東京へ!

そう想っていましたが そんな学力もなく、

家の経済事情もあり 短大進学を決めます。

 

そして、短大不合格で専門学校に進み

秘書検定とか、

ワープロ検定とか、

マナー検定とか

およそ、ジャーナリズムとは関係ないことを 身につけ、

会計事務所に入ります。

 

思えば、人生とは思い通りにならないもの と、

このあたりから自分に言い聞かせて 諦めていました。

その下地があっての、会計事務所編ですから

不満と怒りの渦巻く日常となりました。

 

「この仕事は、私の仕事ではない」 いつも、こう言っていました。

そう言いながら辞めない。

世の中はバブル。

 

不満を持ちながらでも、会社に属していれば 給料は右肩上がりです。

ボーナスも年2回支給されました。

でも、人生に満足感はありません。

私にとって「仕事」は やりがい があって なんぼのもの。

会計事務所の仕事に 会社勤めの仕事に やりがいなんてない。

 

当時の私には、これこそが自分の人生に

満足感を与えていない「源」だということに

気づく術もありませんでした。

 

で、何をしたか?

 

17時以降に習い事をたくさんしました。

エアロビクス

アロマデラピー

レイキヒーリング

数秘術

ワインの会 etc・・・・・

思えば、自分を癒したかったのだと思います。

不満からくる体調不良をどうにかしようと

癒し系の習い事をしていました。

そんなとき、新聞にある広告を見つけます。

 

「ライター講座開催。生徒募集中」

読むと、私の通った専門学校の夜間部として

社会人を対象に始まるらしい。

その時36歳。

これは、行くしかないでしょう。

私は、とりあえず、説明会があるというので 出かけていきました。

説明会の会場にはいると

そこには、10名ほどの男性。 見

たところ明らかに、みんな20代。

 

女性は私一人で、おまけに30代後半。

「えっ!!」

「なんか場違い?」

さずがに、怖気付いた私がいました。

 

場違いかも、、、、

 

そう思った私ですが ライター講座を受講することにしました。

なぜなら、日常に変化が欲しかったからです。

そして、書いてみたかった。

今のようにブログもなく

書いて表現するには どうしたら良いかわからなかった。

その方法を教えてくれるのなら

場違いでもいいから やってみたかった。

この講座で、私は コンサドーレ札幌の試合観戦記を

札幌のタウン誌に書かせてもらうことになります。

原稿料はいただけませんが、

私にとってライターとしてのデビューです。

最初の原稿は、徹夜。

当時は、ワープロで原稿を書きました。

記者証を持ち

スポーツ紙の記者と同じ席で試合を見て メモを取る。

退屈な日常は消えて プレッシャーを感じる生活になりました。

すごいことやっていたな、と思います。

 

この夢のような時間も、

タウン誌の廃刊により

ワンシーズンで終わりを迎えます。

 

そして、私はライターにはなれなかった。

 

いや、なりませんでした。

 

会計事務所を辞めて

ライターになるまでの覚悟ができなかったのです。

退屈で仕方がない と思っていながら

その生活は、経済的に豊かでした。

その豊かさから飛び出すのが、

とてつもなく 怖かったし

ライターになって、

自己主張するなんて 私には無理 と怖気付いていたのです。

1年間のライター講座が終わると 私はまた元の生活に戻っていきました。

 

 

 

戻ってきた日常

 

また、元の日常が戻ってきました。

穏やかだけど 退屈 そして、

この状態が 自分自身に与えている影響の大きさに

私は、まだ気がついていませんでした。

ある日、私は所長に呼ばれます。

滅多にないことなので 驚いて、

所長室に行ってみると

「得意先の会社に2年間出向して欲しい」

というものでした。

社長の息子が経理を仕切っている会社なのだけれど

その息子が体調を崩し、

長期離脱を余儀なくされ

経理が進まなくて困っている。

どうか、助っ人で行って 経理を担当して欲しい。

会計事務所としては 初めてのことでした。

 

私は、即決で 「行きます」 と返答します。

ここでもまた、 退屈な日常から逃れるため

そう、今だからわかりますが こ

のときの私は 退屈な日常を逃れるために

反応していただけでした。

 

人生の転換期がやってきて

その波に乗る 人生を反応的に生きる

これは、外側からみると 同じように見えますが

実際に生きてみると、雲泥の差があります。

 

このときの私は、後者です。

そして、この反応する人生は

本人が気づくまで同じことを仕掛けてきます。

 

ほどなくして、私は得意先の会社に出向します。

結果的には、1年間でしたが 長くつらい期間となりました。

社長の息子が仕切っているといった経理は

実は、社長の奥様が実権を握っていました。

そこに入っていった私。

奥様は、帳簿を手書きしています。

私は、会計ソフトに打ち込み 手書きの帳簿を合わせる。

これは、すでに会社に取り入れていた方法でした。

手書きの帳簿と入力したものが 合わない。

調べてみると、帳簿は鉛筆書きで

消しゴムで消して、残高が訂正されていました。

 

それを発見した私は 奥様に直接言いました。

「残高を訂正するときは、横線を引いて

訂正したことが、わかるようにしていただけませんか?」

この一言が 地獄の蓋を開けました。

 

次の日から 私は、奥さんに完全無視。

ちょうど年末で、すぐに年末年始の休暇になり

ホッとして 年始を迎えます。

その会社では、年始のお昼はは社長の自宅に行って

奥様手作りの 雑煮を食べる習慣でした。

年始の朝 奥様は、会社に来て 社員一人一人に声をかけます。

「お雑煮食べに来てね」

私の前を素通りして

「みなさん、いらしてね〜」

と言って自宅に戻って行きました。

 

残って留守番をしています。

と言う私に 職員のみなさんは

「一緒に行こう」 と声をかけてくれて

結局ご自宅へ行ったのですが

予想通り 針のむしろでした。

ちなみに、私にもお雑煮はちゃんと配られました(^ ^)

 

結局、息子も会社にちょくちょく顔を出すようになり

経理にあれこれ口を出し

会社の中で 奥様と息子の対立があることが

私にもわかってきました。

どんな理不尽なことも 我慢する。

このころの私の人生は、こんな風でした。

我慢すればいつかきっと誰かが認めてくれる。

そう思って頑張れるうちは良い。

そのうち、気がつきます。

 

「誰も私のこの苦労を知らない」

誰かが認めてくれると 思えているうちは、

どうにか持ちこたえているものの

実は、誰も知らない。

いや気にも止めていない。

もう、なんのために我慢しているのか わからなくなります。

いつのまにか 犠牲者 被害者 のようです。

犠牲者の人生は 自らの体調にも変調をきたしてきます。

盲腸 子宮筋腫 30代の私は、

いつのまには 病気がちになっていました。

 

 

アルプスの少女ハイジ

 

自らの体調にも変調をきたし

40歳を目前にし

これから、どうしていこうか

考える毎日。

 

どうして、思い通りにいかないのか

何が悪いのか

そう、自分の何が悪いのか

を突き止めるために

いろいろなセラピーを受け

自己啓発のセミナーに行きました。

 

そこで、一つ見つけたのは

私自身が持っている

決定的なストーリーです。

 

数秘術の条件付けのナンバーに

何かがあると、感じた私は

本を読み、これまで受けてきたセミナーと

照らし合わせて

自分がどんなストーリーを持っているか

一緒に勉強している友人に手伝ってもらって

見て見ました。

 

条件付けのナンバーとは?

 

私が持っているストーリーは

 

「アルプルの少女ハイジ」

でした。

 

ハイジは、両親を亡くし

あったこともない「おんじ」の家に

連れてこられ、一緒に生活を始めます。

 

アルプスの大自然に囲まれ

のびのびと暮らしていたハイジは

今度は、フランクフルトという都会の街に

連れていかれて、足の不自由なお嬢様

「クララ」の遊び相手としての生活になります。

 

慣れない都会の生活に、ハイジは体調を壊し

おんじのいる山へと戻ります。

 

そう、私は、ハイジでした。

自分の意思とは関係なく、物事が動いて行き

自分ではどうしようもないというストーリーが

いつも展開しているのです。

ここで、気づいたことは

人生は、思い通りにならないもの

という言葉が、私を牛耳っている

ということです。

 

「思考は現実化する」

と言いますが、本当にそうでした。

 

 

ハイジは、最後は山に戻り、想いを遂げました。

 

物語のハイジは、子どのままですが

実際の人生は、年齢を重ねて「大人」になっていきます。

次第にすべてを自分で決めて生きていくようになっているのです。

 

「すべては、周囲が決めている。

私には、どうすることもできないこと」

 

私がパワーを失っている根本は

この言葉にあるのかもしれない。

 

では、一体私は、どんな人生を望んでいるのだろうか。

 

ふと、頭が真っ白になりました。

もしかして

考えたことがないのかもしれない

と思ったからです。

 

 

欲しいものは何か

 

自分がどういう人生を生きたいのか

考えたことがないかもしれない・・・・・

 

この考えは、とてもショックでした。

そこで、思い出したのが

数秘術のコースを受けたときの

先生の言葉です。

 

「人は自分が何を望んでいるのかを、実は知らない。

 

本当に欲しいものを知らないで生きていると

手の中に、これをあげる

と握らされても

これじゃない と突き返す人生になる。

逆に知っていると

たとえ、欲しいものじゃなくても

ありがとう

と言える人生になる」

 

 

もしかして、何を手にしても

これじゃない として生きていたかもしれない

と、初めて思えました。

 

会計事務所の仕事も、これじゃない

と突き返している。

 

私は、男性職員の補助という立場で仕事をしていました。

男性が得意先から回収してきた仕事を

入力したり、帳簿を付けたりするのが、仕事です。

 

一緒に仕事をしている男性と、毎日のように

喧嘩をしていました。

 

いちいち気に障ることを言いってくる。

同じことを何回も言ってしつこい。

 

と、いつも不満を持っているから

何を言われても

「ほら、まただよ~」

と、思っていました。

 

隣で仕事をし、毎日話をしている人が

何を私に言っているのか

何にも聞いてはいなかったのかもしれない

と思えてきたのです。

 

 

そこから、日常が変化しました。

 

となりの男性と、言い争いをすることが

なくなり、仕事がスムーズになりました。

 

今まで、大嫌いだった隣の男性が

 

「あれ、結構いいところあるな」

 

とさえ、思えてきました。

 

ここから、私はようやく本気で仕事をしました。

 

会計事務所は、12月から5月が繁忙期です。

 

終電まで仕事をするときもあれば

 

今までわからないことは、誰かに聞いて

そして、すぐに忘れるを繰り返していましたが

初めて本を読み、調べるということも

やりました。

 

会計事務所の仕事にやりがいを感じたころ

 

私に、また転機が訪れます。

 

療養中だった会計事務所の会計士の先生が

癌で亡くなったのです。

 

 

 

決断の時

 

会計事務所というのは、当時は個人事務所として

存在しており

会計士である先生が亡くなるということは

事実上事務所は閉鎖となります。

 

いよいよ、辞めるときか

そう思いましたが

会計事務所は 税理士法人として

継続することができました。

 

税理士が複数人所属すると

税理士法人を立ち上げることができます。

 

事務所の男性職員が、なんとか事務所を

閉鎖しないようにと奔走してくれた結果

存続が決まりました。

 

そして、30代の税理士の先生を迎えて

新たな体制で事務所は再スタートします。

 

そこから、一回り以上も年下の

先生との関係に、歪みがうまれてきました。

 

職員は、ほとんどが先生より

年上。

 

言葉使いから

態度から

「僕をなめるな」

というオーラがいつも漂っていました。

 

ある日、目の前で

怒りをこめた目で、書類を机に

叩きつけられたとき

また、同じ感情が襲ってきました。

 

アルプスの少女ハイジの心境です。

 

そして、

「ぬるま湯のカエル」の話に出会います。

カエルの入った器に熱いお湯を注ぐと、

ビックリしたカエルはあわてて飛び出します。

けれど、まずカエルをぬるま湯に入れて、

その後に少しずつ熱湯を注いでいくと、

カエルはだんだんお湯が

熱くなっていることに気がつかず、

熱湯から飛び出す事もなく、

なんとゆで上がって死んでしまうのだそうです。

 

「ここは自分の居場所ではない」

と言いながら、同じ場所にい続けることは、

結局「ぬるま湯」でした。

 

このままでは、生きながら死んでしまう。

 

「所長が嫌だから辞める」

のか

「自分の人生を生きるから辞める」

のか

 

このとき、初めて数秘術が

自分の人生に役にたちました。

 

私のナンバーは「1」

 

自分の人生を自ら切り開いていくナンバーです。

そして、私の中に

会計事務所の仕事を、やりきった

という気持ちがありました。

 

私の何が悪かったのか

 

こんな言われ方をして、私のことを

わかってくれない

 

いつも出てくる嘆きや悲しみを

横において、自分がどうしたいのか

を冷静に考えることができました。

 

私は、ついに

「辞める」を選択します。

 

自分の人生を42歳で初めて

舵を切って進んでいくことを

決めました。

 

いよいよ外の世界へ

 

20年以上勤めた会計事務所を辞める。

こう決めて、最大の難関は両親でした。

結婚もせずに、42歳で仕事を辞める という娘に対して

心配しない親はいませんよね。

「辞めるのなら、準備をしてからにしなさい」

私にとって、準備の期間は とうに終わっていましたから

両親を説得するのに 1ヶ月を要します。

私の人生の中で 何かを決めるとき

「親が何というか」 は、重要でした。

 

私は3姉妹の長女ですが 妹二人は、

家を出て独立していて 姉の私よりしっかり人生設計をしていました。

長女の私の動向は 両親にとって心配の種だったと思います。

両親に心配をかけている。

いつでも、この罪悪感と自己嫌悪が 私の中にありました。

本当に、私が向き合わなければならなかったのは

両親ではなく この罪悪感と自己嫌悪でした。

 

罪悪感と自己嫌悪 この殻の中から外の世界を見ている私。

 

この殻から出て 外の世界を見たとき 両親の声が初めて聴こえてきました。

心配されている、という罪悪感は

私に「黙っていろ」 と命じてきます。

 

「言い訳をするな。 どうせ、お前が悪い」 と。

 

そこから聴こえてくる 両親の言葉は

いつも、私を責めているようにしか 聴こえてきません。

 

でも、罪悪感の外の世界に出て、

父と母と会話してみると 今まで、

反対されている思っていたけど 私が、

本当にやりたいことを 応援してくれている、

と、ようやく聴こえてきました。

 

そう、聴こえてから

私は、会計事務所でに経験から

人を癒す仕事がしたいこと

そのための準備もしてきたこと を、

時間をかけて父と母に話すことができました。

 

両親は、まだまだ心配は拭えなかったと 思いますが、

最後には

「そんなに甘くはないと思うけど 応援するから、やってみなさい」

と、言ってくれました。

 

自分の想いを表現すると 状況が変わる。

初めて味わう体験でした。

 

周囲から孤立して、独り奮闘する 状況とは別の世界です。

頑張らなくていい と最近よく聞きますが

こういうことか と、思います。

私の中の、頑張らなくていいは 廃人のように、

ボーッと生きてること でしたから(笑)

 

「応援されている」 という心の支えは、私を軽くしました。

不安や心配もありましたが 罪悪感と自己嫌悪の殻の外へ

42歳にして出て行きました。

ここから、ようやく自分の足で人生を 歩くことになります。

 

数秘術でみると 4つのピークに分けた人生で

4つ目のピークで「自分の人生」が 始まります。

それは、軌道数のナンバーによりますが

早い人で46歳から 一番遅い人で54歳から が、

自分の人生を歩く時期に入ります。

なので、私の人生、本番ということです。

いよいよ面白くなってきました。

 

ここから、ラジオの開局までは 10年あります。

この10年も、面白い日々でした。

もちろん、山あり、谷あり です。

ラジオ局の代表になるときに

自分を見る、客観的な「目」が必要だと思ったので

生命判断と誕生日で運勢を見てもらいました。

 

私の人生は、0 か 100 とても極端なのだそうです。

良いことも、悪いことも 最大の振れ幅でやってくる。

吉凶混合の運勢でした。

「あなた、結構大変な人生よ」

 

と言われ 私は、覚悟を決めました。

 

悪いことが起きたら 次は良いことが起きる。

どんなことが起きても、それが私の人生。

 

吉凶混合の運勢をどうにかしようとか、

凶の運勢から逃れようと もがくより

この人生を受け入れて楽しむ。

 

どうせ生きるなら、楽しんだもの勝ちです。

辛いことが起きない人生を 人は望んでいます。

 

なんで、私にばかり辛いことが 起きるのか。

誰かの心無い言葉に 心を乱され、

思い通りにことが進まない辛さ。

 

そんなときこそ 頑張る! では、

なくて 自分と向き合う です。

 

心の内を表現すること。

 

書き出してもいいし

 

言葉にして、誰かに受け取ってもらってもいい。

 

安心して自分を表現できる場を 持っていること。

 

そうすると 最悪だ、と見えている状況から

すこし離れることができます。

 

最悪な状況と、くっつきすぎると窮屈で 全体が見えません。

一度冷静に、状況を観察してみること。

ここから、突破口が見えてきます。

これが、大切です。

何も起きない平凡な人生を送っている

人は「幸せ」だとは、思っていません。

 

そこにあるのは 「退屈」です。

退屈も 人生を蝕みます。

 

でも、恐れることはありません。

そこから、出るだけでいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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